便座上の独白

トイレの中で考えてたことを書きます

俺が一人で服を買えるようになるまでの記録

先に断っておく

 

俺はまだ一人で服を買えない

 

いや、もちろん買える。スーパーで三ツ矢サイダーを買うように、ラーメンを券売機で購入するように、「服という商品」を買うことはできる

より正確に記すならば「自分に似合う、ないし買いたいと思える服」を一人で買えないのだ

これは一人の成人男性、それも盛りの大学生となれば、とても深刻な問題である。

 

「古着屋に一人で行くのは緊張する」とか「服屋は店員に話しかけられるから苦手」という人はそこそこいるだろう。しかし俺のそれは、これらとは一線を画していると思う

今日もGUに行って計10点ほど試着したのだが、一着も買うことができなかった

気に入ったものがなかったのでは、ない

俺は毎回「買うぞ!!!」と意気込んで入店するし、「着るぞ!!!」と思える服を試着する

そして毎回毎回打ちのめされる。俺という存在がすべての服を台無しにしているかのような錯覚に陥り、とても落ち込む。とうてい服を買うような気分にはなれない

そして帰路に就く。今日は2度も試着室に入ることができたのだからかなり上出来な方だ、と思いながら

このような一日を俺は何回繰り返しただろうか

 

そして俺はこの現状を打破したいと考えている

 

問題点はすでに明らかである。俺に自信が無さすぎる。自信をつければいいのだ。

現在の俺と服の関係性を図で表すとこのようになる

まったく無意味な図ができた

 

 

この図とは全く無関係に思った

俺は何に対する自身がないのか

それは服のセンスであろう。自身のセンスの良し悪しを判断するのはとても難しいことであろう。実は俺のセンスが良いとか言いたいのではない。俺はその審美眼が著しく欠けているため、そもそもその判断ができないということだ

そして判断ができない以上、その判断を他人にゆだねるしかない。しかし俺は他人の言葉を全く信用できないたちなので、どんな言葉も全て「お前のセンスは悪い」という、ある種の人格否定へと収束する

なので自信をつけることができない

 

ここで「お前らの言うことなんて知らねぇよ!!!俺は俺の直感のみで選ぶ!!」と言えたのならばそう難しい問題ではない。

俺はそういうのを割と気にする男なので、常に他人から排斥されるのを恐れている。そう結局のところ孤独を恐れているのだ。排斥されるのを恐れているのだ。もちろんそんな簡単に社会から掃きだされることはないだろうが俺は臆病なのでできればそのような要素は取り除いておきたい。落ち着いたトーンの服で固めるにしろ、奇抜な服装をするにしろ、ある種の調和(またそれへの抵抗)がそこにあるのならば良いのだ。調和も調和への抵抗もすべて社会へと還元可能である。俺は俺の意志とは関係なく調和から離れてゆく。それともこのような疎外感もハイティーン(もう超えたけど)特有の感覚として還元されるのだろうか。その語りさえも?

 

 

疲れてきたのでここらで一度区切りをつける

とにかく、俺は、一人で、着たいと思える服を、買えるようになりたいです