便座上の独白

トイレの中で考えてたことを書きます

パソコンを装飾したい

ノートパソコンを装飾したい

この欲求は大学進学と共に手にしたノートパソコンの、一面の銀色を目にすると同時に芽生えた。

たとえばピンクフロイドの「狂気」のジャケットなどは、こののっぺりとした銀に良く似合いそうだ。マックブックならば林檎をプリズムに見立てることもできる。別にパロディーである必要もない(ある瞬間からそれは恥に変わりうる)。ステッカーなどを貼るのもよいだろう。

ではなぜすでに購入から1年以上が経過しているにもかかわらず装飾しないのか?それは「どっち向きに装飾するか」という重大な問題にいまだ折り合いをつけられていないからである。

いつだっただろうか、PCで作業中の人を見かけた。PCには様々なステッカーが貼りつけられており、それは彼自身のようでもあった。

ここに問題がはらんでいる。基本的に装飾が施されるのはPC背面である。この部分を使用者が目にするのは、PCをバッグあるいはナップザックから取り出し作業を開始するまでの数十秒、そして作業を終了ししまうまでの数十秒のみだ。つまり所有者がこの装飾を目にする機会は驚くほどに少ない。

さらにこの装飾は基本的に、カメラ側を上、関節側を下にして施される。上記の所有者と装飾の数少ない面会時間すら、逆さまなのだ。

つまりこの装飾は見られることを前提としている。いや、「見られるため」に行われると言えるだろう。「こんなPCを使用している人として見られたい」という「なりたい自分」を映し出しているのだ。

自分はこの自意識と向き合うこともできなければ、思考を放棄することもできない。だから私のPCの背面は今日もくすんだ鈍色だ。