便座上の独白

トイレの中で考えてたことを書きます

友人の友人のインスタ論に感動した話

「なんでインスタグラムやるの?」

私にとってこの問いはインスタグラムが広く普及して以降最大の謎であった。

 

中学生のころ「俺らはインスタなんてやらないもんな!!」と言って友人たちと奇妙な連帯感を高めていたことがあった。

当時主張していた論理は「対外的に自分を誇示することに時間をかけるのは無意味である」であったと思う。

しかし実際のところ、この時のインスタをやらないモチベーションは「逆張り」それのみであったと自信を持って言える。

どんな論理武装をしていたとて、その最終的な目的は「世間の逆を行きたい」それのみなのである。

当時私は逆張りに命を懸けていた。

これもその活動の一環にすぎない。

しかし高校生になると、またひとり、またひとり、この連帯の輪から外れてゆくこととなった。

かく言う私も高校1年生の夏にインスタをしぶしぶインストールした。

というのも海外研修のようなものに出向いた際に、そこで知り合った人と連絡先を交換する場面があった。

その時はインスタグラムを持っていなかったためLINEを交換することとなったのだが、交換した後に重大なことに気が付いた。

LINEは1度友達登録するとブロックかミュートか友達のままでいるかしかないので、関係性の薄い人と交換すると半年後くらいに「もう連絡することないだろうから削除したいけどブロックするのは気が引けるなぁ....」となってしまうという事態が発生してしまうのだ

こうしてインスタのアカウントを作ることとなった。

こうして私の中でインスタグラムは「LINEに代わる、ネット上でのゆるい連帯の中の交流手段」という定義がなされることとなった。

中学校以来の友人や高校の同級生とインスタを交換することが何度かあった。

 

そういえばこの「インスタを交換する」って普通に考えて意味がわからない言葉だ。

「インスタ」と「を交換する」の間に省略された単語があるかと思ったけど、「インスタのアカウント」でも「インスタの連絡先」でもない。

そもそもインスタにおいて交換できるものは無い。

この「インスタを交換する」が「連絡先を交換する」から来たとすれば不自然だが、一番近しいのは「インスタのアカウント名の控えを交換する」だろうか。

というかそもそも「連絡先を交換する」も「交換」の意味を考えるとおかしくないか?

 

まあいいや

つまりはストーリー欄が充実し始めたって話

そして大量にアップロードされるストーリーを見て

「おや、どうやら俺のモチベとは違うらしいぞ」と感じたって話

こうして俺の中の「インスタ」のイメージは「自分の見せたい部分を他人に見せる手段」となった。

以前よりは具体的になった。

日常生活の中で他人に対して「自分が魅せたい自分」を演出するのはとても難しいことだろう。

しかしインスタグラムであれば意図的に見せる部分と見せない部分を取捨選択できるため簡単に自分を演出することができる。

つまりはインスタとは各々の「自分」という作品を出展する展覧会なのだ。

中学生のころ感じていた嫌悪感はほとんどなくなっていた。

 

高校から大学に進学するとストーリーの毛色が変わってきた。

以前までは「友人との友情」をテーマとした投稿が多かったのだが

だんだんと「華やかな生活」というテーマが増えてきた。

「恋人と共有する幸せ」や「メシ」は依然として人気テーマだ。

 

ある時、高校生の頃の友人(以降「A」)と通話をしていた。

Aとは「彼女が欲しいよな」という話題だけで毎週3時間くらい消費する仲なのだが、Aの大学の友人はモテる技術を持っている人間だそうで(Aの主観的な意見です)その人曰くAは節々から陰キャのオーラがでていているのだという。そして彼女が欲しいならとりあえず表面的な部分から変えていくべきでありインスタもまた同じく変えていくべきである、と言っていたらしい。

この話に(陰キャのオーラ云々も含めて)興味が湧いた。

湧いたからと言って別に何かをしたわけではなかったのだが、後日Aに電話をかけたところ偶然その友人もAの家にいて会話をすることになった。

その際に彼が提唱した「インスタ論」はインスタに関するすべてが一貫した論理の元で説明されており、感動さえ覚えてしまった。

前述した私のインスタ論では説明ができない部分さえカバーしてしまうのだ。

 

彼の主張はこうだ。

まずインスタグラムは1種の出会い系アプリである。

仕様上、基本的に自分と何らかの形で接点のある人物しかフォローできないため、ある程度の安全性が確保されている。また同年代を探すのも容易である。

そして好みの空いてを見つける方法だが、それがストーリーや投稿である。

ストーリーを投稿する側は自分の趣味嗜好を他人に知らせることができる。

これによって内面をあまり深く知らない人や現実では会ったことのない人について知るとこができる。

それではどうやって交流を図るのか。

それがインスタのテキストチャット機能である。

ストーリーや投稿の話題をフックにテキストチャットで会話を始める、当人と親密になるためには、別に趣味嗜好が一致している必要はない。とにかく会話を重ねることが重要なのだ。

また相手の趣味を知っているのならばこちらから罠、つまりは相手の趣味嗜好に合った投稿をするのも良い。

 

細かい部分は抜けているかもしれないが、このような内容であった。

正直この思想はどうかと思うが、たしかに主張は一貫している。

この思想がどれほど一般的なものなのかはわからないが、もしほとんど全員の共通認識であったとするならば、俺は今まで「なんか陰キャがやってるわ」と思われていたことになる。だからどうだという話ではないが。

このような目線でインスタを眺めてみるのもまた一興なのかもしれない。